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はだしのゲン日記 -hadashi no gen nikki-(20051031〜) タイトル一覧 カテゴリ別一覧 掲示板 memo 1995genprod.
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2005年11月21日(月) [n年日記]

[天気:晴]

#1呉智英が語る「はだしのゲン」




世の中Google、グーグル、ぐーぐると大騒ぎのようですが、
わたしはいまでも グルトさん 派ですよ!!!!!!ぬぬ






さて、 この 8月 に出版された「黒い雨にうたれて」が今日届いた。
内容についてはご存じかもしれないが 中沢さんが実母の死に怒りをまかせ描きなぐった、
初の「原爆漫画」である「黒い雨にうたれて」と、その後続く「黒い」シリーズと
銘打たれて、描きあげた短編をまとめたもので これまで にも幾度か出版社を
変えながら刊行されている「はだしのゲン」前夜 ともいうべき作品集である。
「はだしのゲン」の味わいとはまた違った粗削りで「怒り」の隠り加減の半端なさは
いま読んでも新鮮だ。ぜひに。

で、これがそれだ。



悲劇は語り尽せるのか 「はだしのゲン」に先行する傑作集
                   【解説】呉 智英

「お。」というのが感想だったが、よくよく考えると、ここ10年の「はだしのゲン」を
振り返ってみる となにかと登場する呉氏。 実のところ、 ゲンプロ内 でもこの 日記 でも
ちょこっと名前を出したりしていたが がまたしても今回登場するとは実に思わなかった。
漫画評論家としての彼の「はだしのゲン」論についての私の言及はさておいて、
(まずは 「不条理な運命に抗して」 を読むことをオススメします。)
これらに関して、この本の中で呉氏は興味深い事を語っている。引用させていただく。

私が大学の教養科目としてマンガ論の講義を始めたのは1988年のことであった。
今でこそマンガ論の講義は珍しくないのだが、当時は極めて稀な例であった。
マンガ論の講義を始めるに当たって私の頭を悩ましたのは、どんな作品を教材にするかであった

(中略)

「はだしのゲン」は学生のまず全員が小学校から高校までの間に読んでいる。
いや、夏休みの課題図書などとして"読まされて"いる。しかも、「反戦反核」の
「良いマンガ」として読まされている。しかし、反戦反核が正しい思想とは限らないし、
良いとされているマンガが本当に良いとは限らないし、「ゲン」を反戦反核の一語で語り尽くせるとは思えない。
むしろ逆に、「ゲン」の中に、単純な反戦反核論者とは全くちがう視点がいくつも発見できる。
学生たちがこれまで18年間築き上げてきた常識をぶち壊してやるのが大学教育である。
よし。「ゲン」で講義をやろう。私はそう決めた。

それに、マンガ論で、しかも「はだしのゲン」ときたら、多くの学生はチョロイ授業だとたかをくくって
課目登録するだろう。そういう学生を驚かせてやるのも楽しかろう。そんなことも考えた。
この予感は見事に適中し、登録学生の大半は授業に一度も出席せす、そのくせ試験だけは受け、
「ゲンの生き方の中に反核の誓いを読み取りました。」などとバカ丸出しの解答を平然と書いてくるのである。
小学校の時の読書感想文のことを思い出したのだろう。だいたい、設問は「『はだしのゲン』の民話的手法について述べよ」
とか「M・バークンの災厄的千年王国論の視点から『はだしのゲン』を論じよ」というものなのだ。
私はバカ学生の答案に次々と零点をつけていった。




少々ドギツイ内容だが が「はだしのゲン」を使ってやりたい事柄が
下品なくらい読んでいても爽快で率直に書かれている。これらはどうでもいい。
というより、彼になら どうにでもできそうだ。(私自身の"これ"に関する意見もさらにどうでもいいが。)
ただ「はだしのゲン」や「黒い雨にうたれて」の解説としてこれらがいっしょに掲載される、
読み物としてはどうだろうか。

もう2ちゃんでお腹いっぱいの イデオロギー の話は置いといたとしても、
所謂「マンガ論」の範疇と見たとしても、あまりにも異質だ。
異質といま書いたが「はだしのゲン」の読み方は自由だし、私自身も「マンガ」として付きあいたい。と考えている1人だ。
ただ中沢漫画と呉氏の読み物をいっしょに掲載することには 少々違和感を感じるようになった。

* HIMANISIM (http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/)
の永野氏も2003年に「不条理な運命に抗して」に関して こう 触れている。以下引用です。


『はだしのゲン』を誤解した三種類めの政治屋、というのを付け加えたい気分です。
すなわち、「『はだしのゲン』のすばらしさは反戦反核の訴えとは無関係だと主張する政治屋」つまり呉氏自身です。
おそらく、呉氏のことなので、私ごときのこのような「稚拙な」反論は十分想定ずみだと思います。
そうしたことをすべて見越した上で、あえて『はだしのゲン』の解説を書き、いわば「褒め殺し」を行う、
という政治的魂胆が呉氏にはあったのではないか、というのは勘ぐりすぎでしょうか……。


「政治屋」は多少行き過ぎかもしれないが、すでに「押し売り」に近いと私も感じている。
「マンガ」として「はだしのゲン」を評する時に"「反戦反核」だけでない素晴らしい漫画だ"
というのは 80年代以前にはあり得なかった論法で「なにか吹っ切れたな」という部分は賛同したとしても
2000年代に出版された本にこれは「もう いいだろう」と感じる。

論じることが仕事だ。と言われればそれまでかもしれないが「論」を強要するような真似事は
もう「はだしのゲン」には必要でない。(という論になるのか)とまたここで強要するような事はよそう。



ただ「はだしのゲン」は少年 中沢啓治が復興と混乱の中の広島で 新宝島 に出会い、
漫画きちがいとなって目を輝かせ 成功を夢みた 一絵書きの作品だ。

それだけは忘れない。(で欲しい)


「本を読むグルトさん」

【参考リンク】
「はだしのゲン」を読み抜く中で…
「はだしのゲン」誕生物語 番外編 〜漫画家 中沢啓治誕生〜

2005年11月22日(火) [n年日記]

[天気:晴]

#1UNCIVILIZED WORLD





(絵 ひよこさん)








2005年11月23日(水) [n年日記]

[天気:晴]

#1中沢啓治の略年譜と主な作品史【Best of 1939-2005】




Today Tomorrow Forever!!!

前々回 に触れた新版「黒い雨にうたれて」の中でもうひとつ特筆する点がある。
いままで公式に発表されていた「はだしのゲン自伝」内に収録されている"中沢啓治の略年譜と主な作品"より
詳細なDATAが網羅される形でサブカル風にいうと「中沢啓治の全仕事」ともいえる年表が添えられている。
はだしのゲン年表 は、もう幾度となく紹介してきたが、読んで字の如くこれはあくまで「はだしのゲン」を中心と
した動きしか捕捉していない。よってまさか勘違いする人がいるかもしれないが、決して中沢啓治は
「はだしのゲン」だけをこの世に排出したわけでもなくて それに至る過程はもちろんの事、漫画家としての
当然「漫画」で飯を食ってALIVEしている。(そりゃそうだ)

Wiki では少々物足らない。という人の為はもちろん、
端的に「原爆漫画家」として というよりは 「中沢啓治一代記」として捉えてみたりすると面白い。
中沢啓治というマエストロが世間にドロップアウトしてきた そのすべてを保存せよ!




中沢啓治の略年譜と主な作品史-The Greatest Works-

(参考文献 ディノボックス 「黒い雨にうたれて」)

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1939(昭和14)年【0歳】

3月14日 広島市舟入本町に生まれる。家業は下駄の塗装だったが父は家業には
     身が入らず蒔絵や日本画の絵書きをしていた。



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1945(昭和20)年【6歳】

8月6日 爆心地から1.2キロメートルの地点で被爆。
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1948(昭和23)年【9歳】

小学校のクラスでは絵がうまいと評判で、休み時間には「絵を描いてくれ」と
行列ができるほどだった。 手塚治虫 の「新宝島」を読んで感動し漫画家になることを決意した。
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1951(昭和26)年【12歳】
江波中学校に入学。美術部に所属しデッサンの基礎を学んだ。休み時間にはいつも学校図書に通い
様々な本をむさぼり読んだ。その時の経験が漫画を描く時のストーリー作りに役立つこととなった。

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1954(昭和29)年【15歳】

高校に入学したかったが朝晩懸命に働く母に迷惑はかけれないと看板屋に就職。漫画をいかす仕事は
ないかと探していたところ たまたま看板屋が求人募集していた。会社が終わると一目散に帰宅し、夜遅くまで漫画を描いていた。
当時描いた漫画は「おもしろブック」入選している。漫画家になる夢は益々膨らんでいった。




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1961(昭和36)年【22歳】

2月 3万円を持って上京。日暮里に3畳一間、3千円のアパートを借りる。かつて東京に自身の原稿を売り込みに
   行った時 知りあいになった「冒険王」の編集者が 一峰大ニ氏を紹介、アシスタントになる。
   その頃の給料は丸1日徹夜して千円だった。アシスタントで日銭を稼ぎ自作を描くのに熱中した。
   当時 日暮里 にあった喫茶店「ムサシノ」のよく通い、1杯40円のコーヒーで朝から晩までねばり、漫画を描いていた。



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1963(昭和38)年【24歳】

6月 「 スパーク1 」『 少年画報 』でデビュー。
   連載は1年続いた。



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1964(昭和39)年【25歳】

5月 「宇宙ギラフ」『週刊少年キング』3ヶ月連載
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1965(昭和40)年【26歳】

多忙で人を求めていた辻なおき氏のアシスタントになる。
この間『 少年 』『漫画王』など各誌に「ガメラ対ギャオス」「 まぼろし36号 」「ザ・ガードマン」などの読み切りを描く。
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1966(昭和41)年【27歳】

2月 山根みさよと結婚。
  出会いは 広島に帰郷した際、知人に紹介され、お酒をたくさん飲む彼女を一目で気に入り2年間の文通の末結婚した。
4月 アシスタント生活と自分の作品を描く二足のわらじをはくのを止めようと独立。
10月6日 母死去。
     火葬された母の骨なく、(火葬の際 放射能にやられた骨はもろく粉々に灰となってしまった)原爆は母の人生を
     狂わせ、その上骨までも奪ったのかと怒りに震え、東京に戻って一挙に描きあげたのが「黒い雨にうたれて」だった。
     当時、「黒い雨にうたれて」は激しいセリフでの政治批判と原爆という重いテーマのために原稿を出版社に持ち込んでも、
     一般商業誌での掲載は難しかった。 



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1967(昭和42)年【28歳】

1月 長女 恵子誕生。はじめて見る我が子の顔は母が宿ったように似ていた。
  赤ん坊の養育費が必要となり必死で売れる漫画を
  描くことに専念した。

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1968(昭和43)年【29歳】

2月 「 超艦不死身 」光文社より刊行。
5月 1年ほど各社を持ち歩いた「 黒い雨にうたれて 」が『 漫画パンチ 』に掲載され原爆漫画の存在を世に示す。
  「黒い雨にうたれて」の評判はよく。そこから<黒いシリーズ>が始まった。
7月 「黒い川の流れに」『漫画パンチ』
  「三匹の蟻」『別冊漫画アクション』
8月 「黒い沈黙の果てに」『漫画パンチ』
9月 「ある街角」『別冊漫画アクション』
11月「狙われた男」『別冊漫画アクション』
12月「鬼の源次」『別冊漫画アクション』
  「泣かない女」『ヤングレディ』





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1969(昭和44)年【30歳】

仕事は順調だったが重苦しい漫画ばかり描いていると息苦しくなった。
2月 「ろくでなし」『別冊漫画アクション』
6月 「黒い鳩の群れに」『漫画パンチ』
  「せっちん虫の歌」『別冊漫画アクション』

当時の漫画作品は根性ものが流行していた。
それらに対抗する意味でグズでだめな男を描こうと思い「燃えろグズ六」というダメな少年の物語を描いた。

9月 「燃えろグズ六」『 週刊少年ジャンプ 』連載
  「泣くな六さん」『別冊漫画アクション』
12月「男なら勝利の歌を」『週刊少年ジャンプ』連載
  「当たり屋の鉄」『別冊漫画アクション』



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1970(昭和45)年【31歳】

ベトナム戦争の膠着化、七〇年安保をめぐる賛否など重苦しい記事が新聞に踊り、
嫌でも核兵器のことが気になった。原爆への怒りがまたよみがえり原爆をテーマにした漫画を
描きたくなった。被爆二世を主人公に自分の親として思いを託して「ある日突然に」という作品の下描きを
当時の『少年ジャンプ』の編集長・長野規氏に見せた。しばらくすると編集長が泣いているのに驚いた。
下描きより20頁追加しろと言われ、週刊誌の読み切りでは珍しい80頁もの作品になった。

4月 「ある日突然に」『週刊少年ジャンプ』
5月 「 オキナワ 」『週刊少年ジャンプ』連載
  「黒い蝿の叫びに」『ポケット漫画パンチ』
8月 「何かが起きる」『週刊少年ジャンプ』

「ある日突然に」の連作を描いてみないかと勧められ、できたのがこの作品だ。
少年ジャンプでの反響は大きかった。もっと真実を、本当のことを知らせてくれと励まされた。




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1971(昭和46)年【32歳】

1月 「若い嵐」『週刊少年ジャンプ』連載
2月 「赤とんぼの歌」『週刊少年ジャンプ』連載
4月 「グズ六行進曲」『週刊少年ジャンプ』連載
  「お好み八ちゃん」『別冊少年ジャンプ』連載
7月 最初の作品集「黒い雨にうたれて」ドーミエ書房より刊行
9月 「チンチン電車の詩」『赤旗日曜版』連載
11月「オキナワ」エール出版より刊行
12月「我ら永遠に」『別冊少年ジャンプ』
  「我ら永遠に」「ああヒロシマ」が浪曲LPとして発売される。歌は真山一朗。



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1972(昭和47)年【33歳】

3月 「黒い土の叫びに」『別冊少年ジャンプ』
8月 < 平和の鐘シリーズ >「出発の歌」「永遠のアンカー」「拍子木の歌」『週刊少年ジャンプ』連載
9月 「いいタマ一本」『週刊少年ジャンプ』
10月「 月刊少年ジャンプ 」の企画、漫画家自叙伝シリーズ第1弾としてはだしのゲンの原型「 おれは見た 」が発表される。
  「おれはみた」『別冊少年ジャンプ』
  「うじ虫の歌」『漫画パンチ』



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1973(昭和48)年【34歳】

1月 「 あの街この街 」『民青新聞』連載
  <仕事の詩シリーズ>『月刊少年ジャンプ』連載
  「大五朗の恋」「野球バカ」「野球渡り鳥」「チエと段平」「おーい花ちゃん」など。
6月 「おれは見た」を目にした「週刊少年ジャンプ」長野編集長が
「45頁の自伝では物足りないだろう、長期連載をやらないか」
  といって誕生したのが「はだしのゲン」である。
  「はだしのゲン」『週刊少年ジャンプ』連鎖開始
  「黒い糸」『漫画パンチ』


「こん畜生!こん畜生!」と思いを込めて「ゲン」のコマを埋めていった。
この連載は長野編集長が栄転で現場を離れると同時に1年半で未完のまま中断している。
オイルショックも重なり紙不足と経済混乱で頁数も急に減ってしまった。
それに週刊誌の連載を1人でやるのは過酷な上にテーマの重さをあり「ゲン」を描く気力はなくなっていった。
「ゲン」の構想はつぎつぎと頭の中を駆け巡っていたが、娯楽作品を描きながら気分転換していた。



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1975(昭和50)年【36歳】


「はだしのゲン」連載中断半年後、ジャンプ連載分が単行本化されている。
原爆について調べていた朝日新聞の記者が作品を読み感動し単行本化に向け尽力してくれた。
政治色の強い作品は週刊誌だと1週間で消え去るからよいのだが、単行本となると、社の作品として残り、
悪いイメージがつくからと なかなか出版社は決まらなかった。原爆物は売れないと定説もあった。


5月 「はだしのゲン」1〜4巻 汐文社より刊行
   全4巻は多くのマスコミにとりあげられ爆発的に売れた。
8月 日本ジャーナリスト会議会奨励賞受賞。
9月 「はだしのゲン」『市民』で再開。
この連載は出版社が経営不振となり1年間の連載の末あえなく中断された。

  「あさがお日記」で<仕事の詩>シリーズ終了。
10月「進め!ドンガンデン」『月刊少年チャンピオン』
12月「中沢啓治選集 全5巻」「 チンチン電車の詩 」文民社より刊行

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1976(昭和51)年【37歳】

6月 「はだしのゲン」新書版汐文社より刊行開始
7月 「はだしのゲン 戦後編1」市民社より刊行
   映画「はだしのゲン」公開、大ヒットする。
11月「 ゲキの河 」『月刊少年チャンピオン』で連載開始したが6回で中断。
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1977(昭和52)年【38歳】

5月 「ゲンコツ岩太」『月刊少年チャンピオン』連載
  「ゲキの河」『われら高校生』で連載開始
  「はだしのゲン 苦闘編」翠楊社刊行
7月 「はだしのゲン」『文化評論』連載開始

連載は約3年半続いたが「原稿料が払えない」との理由でまたもや中断となった。

8月 「 ユーカリの木の下で 」『週刊少年ジャンプ』連載
9月 チェコスロバキア、カルバリ映画祭に出席。「はだしのゲン」原作賞受賞。

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1978(昭和52)年【39歳】

1月 「 いつか見た青い空 」『赤旗日曜版』連載開始
3月 映画「はだしのゲン第二部」公開。
8月 英語版「はだしのゲン」第1巻完成。
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1979(昭和54)年【40歳】

8月 「冥土からの招待」『 ヤングジャンプ



   映画「はだしのゲン第三部」公開
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1980(昭和55)年【41歳】

2月 「はだしのゲン」5〜7巻汐文社より刊行
7月 児童文学版「はだしのゲン」文 深沢一夫 汐文社より刊行
8月 絵本「はだしのゲン」汐文社より刊行

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1981(昭和56)年【42歳】

7月 「ユーカリの木の下で」「いつか見た青い空」汐文社より刊行
8月 オペラ「はだしのゲン」初公演。
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1982(昭和57)年【43歳】

4月 「はだしのゲン」『教育評論』で連載開始

この連載は約3年半の末余裕をもって終わろうということになった。
体調を崩しながらもやっと完結させた。最初の連載から14年たっていた、
中沢氏の最後の連載作品となった。

7月 「中沢啓治平和漫画作品集」ほるぷ出版より刊行
  「はだしのゲン」アニメ化
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1983(昭和58)年【44歳】

2月 「はだしのゲン」8巻汐文社より刊行
   毎日新聞映画コンクール「大藤賞」受賞
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1984(昭和59)年【45歳】

  「黒い雨にうたれて」アニメ化。
12月 「はだしのゲン」9巻汐文社より刊行
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1986(昭和61)年【47歳】

「はだしのゲンパート2」アニメ化
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1987(昭和62)年【48歳】

アメリカ、ダラス市名誉市民称号授与。
3月 「はだしのゲン」10巻汐文社より刊行。
8月 文芸「広島の空白」日本図書センターより刊行。
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1990(平成2)年【51歳】

7月 「クロがいた夏」汐文社より刊行。
  「クロがいた夏」アニメ化。
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1994(平成6)年【55歳】

3月 「広島カープ物語」全2巻 汐文社より刊行。
7月 文芸「はだしのゲン自伝」日本教育史料出版会より刊行。
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1996(平成8)年【57歳】

3月 広島ホームテレビ文化賞受賞。
6月 「はだしのゲン」愛蔵版 1巻 中央公論社より刊行。
7月 「はだしのゲン」愛蔵版 2巻 中央公論社より刊行。
8月 「はだしのゲン」愛蔵版 3巻 中央公論社より刊行。
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1998(平成10)年【59歳】

5月 「はだしのゲン」文庫本1巻〜3巻 中央公論社より刊行。
6月 「はだしのゲン」文庫本4巻〜5巻 中央公論社より刊行。
7月 「はだしのゲン」文庫本6巻〜7巻 中央公論社より刊行。
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1999(平成11)年【60歳】

映画「お好み八っちゃん」制作。 原作、脚本、監督を行う。

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2002(平成14)年【63歳】

11月 谷本清平和賞 受賞。

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2005(平成17)年【66歳】

各地講演や作品のアニメ化、映画化に力をそそいでいる。




Da Saga is Continue..



「中沢啓治」(近影)



nuff respect to lll氏
【参考リンク】
中沢啓治・扉絵コレクション
中沢啓治作品(未)完全版カタログ



中沢啓治とカレー:

ついでというと怒られそうだが こんな話もある。
とある「カレー」ムックでのミニ記事だ。(提供:ピコ美さん)



そうなんだそうだ。中沢さんは「原爆漫画家」としてばかりでなく
「カレー漫画家」界の重鎮としても認識されているそうだそうだ。
中沢さんは臭い系にうるさいのだ。

2005年11月24日(木) [n年日記]

[天気:曇り]

#1はだしのゲンソーシャルネットワーキング【gigigi SNS】




ソーシャルネットワーキングサービス が盛況だ。
最近では OpenPNE というオープンソースのSNSエンジンが開発されたそうで、
2ちゃんねるSNSとしあきソーシャルOtabaFiln と次々と新しいSNSが 乱立 して留まるとこをしらない。
Vippers'SNS やら 童貞 SNS つーのもあるのかw

SNS統計ページ さんが大変そうなのだが そんな中、なんとも無料SNSレンタルサービスが登場した。

* @PNE[あっとピーネ] (http://atpne.jp//)


と、ありがちな前振りだが こうなるとやはり「はだしのゲン」SNSが欲しくなるのは当然だ。
「閉じた」ネットワークにも多分程がある。(と思う)
しかし その閉じ過ぎたIT空間で「はだしのゲン」だけを扱うというのは、ネットパロディスト(自称)
としては最高の舞台だ。先に断っとくと、無料サービスなのでどこまで続くのかよくわかないが
とりあえず今日(正確にいうと昨日)オープンしてみた。



* 「はだしのゲン」ソーシャル・ネットワーキングサイト [gigigi SNS] (http://atpne.jp/gigigi/normal.php)


我こそは!という麦っ子諸君はぜひぜひ参加してほしい(ネタでもあっても)
参加方法は他のSNS同様、利用者よりお誘いを受けることとなる。
いますぐにでも!という奇特な方は 私宛(michi@kamatatokyo.com)までメールを送ってほしい。
イメージが掴み憎いかもしれないが、例えば「田村」コミュニティと「広田」コミュニティが
ケンカしたり、「中岡元」コミュ二ティが資金に困って「朴」コミュ二ティに助けを求めたりする
感じだ。もっと盛り上がると、"お母ちゃんを背負って皇居までいくオフ"などが開催されたり
するかはどうかわからない。とにかく「はだしのゲン」を楽しめることに違いない。


【追記】
たくさんの参加メールありがとうじゃ!全員にしかりと招待メールを送っているのですが
openPNEの既知のバグ?として現在、一部メールアドレスに招待状が届かない不具合があるそうです。
うんともすんとも招待メールがこない方、これに該当する場合があります。
詳しくはこちらあたりに情報がありますwがんばって再チャレンジお願いじゃ! 
http://atpne.jp/_/bbs/viewtopic.php?t=8&start=15


2005年11月25日(金) [n年日記]

[天気:晴]

#1Hardcore Obsession











(絵 ひよこさん)



アーーーデランテッ!(スペイン語?):




詳しいことはちょっと解らないのだが、現在 NHK教育テレビジョン で放送されている、
スペイン語会話 、みなさん見ているだろうか?

笑い飯 がどう「はだしのゲン」関係あるのか といえば関係ないのだけれど( PCエンジン ネタが好きだ)
この中のあるコーナー(実は私も見たことがない!)に登場する エミリオ・ガジェゴ 氏は
「はだしのゲン」に相当関与している。

なんと 2003年に彼は「はだしのゲン」 スペイン語 版を翻訳・刊行(全7巻)した重要人物なのだ。

当時の記事
ひと 「はだしのゲン」のスペイン語訳を刊行 (キャッシュ)

以下ちょっとばかし引用させていただく。

エミリオ・ガジェゴ・サンブラノさんは原爆をテーマに描いた漫画「はだしのゲン」のスペイン語訳を手掛け、
昨年(2002年)11月から刊行を開始、このたび全7巻が完結した。2年程前から翻訳を始め、
これまでにも漫画「 タッチ 」や 「 リボンの騎士 」、小説「窓際のトットちゃん」など多くの日本の作品を
スペインに紹介している。

日本に興味を持ち始めたきっかけは、やはり漫画。スペインのTVアニメで「 聖闘士星矢 (セイントセイヤ)」や
ドラゴンボール 」が放映され、日本に興味を持ち始めたという。

(中略)

「はだしのゲン」を初めて読んだのは高校時代に英語版で。
「これは漫画だけれど文学作品に相当する傑作だ」と感じたという。
上智大学に編入後、比較文化学部スレーター助教授の授業で「ゲン」がテーマとして取り上げられ
「自分が考えていたよりも、さらに多くのイメージが隠されていることを知った」と語る。
原作者の中沢さんとは何度も会い、「原爆の悲惨さを伝えるために全力を注ぐ姿に感銘を受けた」と話す。
「ゲン」の翻訳にかける時間は他の作品の倍以上。調べる箇所が多く、文化的な背景にも気を遣う。
文中の日本の戦争歌はスペインの歌に替えてオリジナルを巻末に記載した。
「おかゆ」「下駄」「ぼたもち」などの理解しにくい単語についても写真と解説を付け加えた。


紛れもなく彼は極度のアニメ好きで「はだしのゲン」オタクだけれども、ゲン達が唄う、
多少下品な 幾種類もの歌 を替えてみたり、細かい設定まで伝えたというのだ。
エミリオ超えらいよ。超えらいよエミリオ。

残念ながら このスペイン語版、今のところ日本での入手は難しいそうなのだが、
彼が翻訳した幾つかの本は インタースペイン書店 で 購入できると聞いた。興味のある方はぜひぜひ。

「はだしのゲン」的にも、スペイン語会話は見る価値がある。



「エミリオ・ガジェゴ フォルダからランダム」


【参考リンク】

ザ・サウンド オブ 「はだしのゲン」
劇中歌ライブラリー
「ぼくはハト」インターネットライブ2002


2005年11月26日() [n年日記]

[天気:晴]

#1取り留めもない雑記




彼女大大大募集!!!
こういうことはwebでかかないほうがいいですね。それにしても彼女みつかったのかなああ3
今日は特になーんも考えてないのでざっくばらんに雑記です。


* 大好きかずまっち!! (http://blog.livedoor.jp/aries_2004_0625_aries/)

摩邪 のマネが大好きな一真くんと、お母さんの楽しげな日々が紹介されている心洗われるブログです。
11月22日の 日記 より ちょっと引用。


今日の朝、一真を起こすと唐突に
「お父さんに会いたい…」
訳わかりません(;´Д`) <夢でも見たの?
でも、下におりてきてからは何事もなかったように
「はだしのゲンみてもいい?」
何考えてるかわかりません(;´Д`) <幼稚園遅刻するよ

一真くん最高ww朝からは見ないなあw 
詳しくは前日の 日記 より読むといいですよw


2ちゃん。最近のゲンスレ:



はだしのゲン強さ格付け
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/ranking/1131953102/

過去に ジャイアン vs はだしのゲン ていう対決スレはあったけれど
単純に格付けっていうのは無かった。
んでもスレ全然盛り上がってねw


ちなみに 熱いぜ!!格闘ゲーム『はだしのゲン』!! だとこんな感じ。




gigigi SNS反応リンク集:



先日 の日記含め、 gigigi SNS が多方面で紹介されました。
ありがとうありがとう。

空に沈む 管理人のユイさん、また 古い話 知ってますねwwありがとうありがとう。


空に沈む
http://sorachin.com/#24
付箋
http://link-dump.net/archives/334
cbc
http://cbc.seesaa.net/article/9744139.html
漂流皇室
http://yaplog.jp/karinpen28/archive/1767
:::::HK-DMZ PLUS.COM:::::
http://hk.dmz-plus.com/
Hagex-day.info
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20051124
はてなブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://atpne.jp/gigigi/normal.php
にゅーあきばどっとこむ
http://www.new-akiba.com/news/0511/25/03/index.htmlキャッシュ



「gigigi SNS(イメージ)」


2005年11月27日() [n年日記]

[天気:晴]

#1中沢啓治の漫画俺節





* 愛の妖精ぷりんてぃん公式ホームページ (http://www.takamagahara.com/printin/)

なんんとあのぷりんてぃんが本になるそうだ。知らなかった。まじめに欲しいので素で買う。
(情報元 蟲ごはんさんの日記)




* Yahoo!知恵袋 (http://chiebukuro.yahoo.co.jp/)
で少々古いがこんな 質問 をみつけた。以下引用。
はだしのゲンの作者の中沢啓治さんってどんな人なんでしょうか?
調べてみると、他の漫画家や人との交流はあまりしないとありますが、戦争(原爆)に
ついて書いた事が原因なのでしょうか?



余計なおせっかい承知で勝手に解答してみる。
手っ取り早いのは 「はだしのゲン自伝」を読むこと。
それだとふてぶてしいので中沢さん好きには「語り草」といもいうべき
中沢啓治の漫画家感の一端を紹介しよう。以下、「はだしのゲン自伝」より引用。

ある会合で漫画家数名と一緒になった。そのなかの一人A漫画家が、私に「原爆漫画をやめろ」と言った。
「子供には残酷で刺激が強過ぎる!情操によくない!」と言うのだ。
「子供には夢を与える漫画ではなくてならない!」と言うのだ。
A漫画家はS社の児童漫画賞を受け、自慢気に自分の描いたブタが空を飛ぶ漫画がよい漫画と言うのだ。
私は唖然として、こんなくだらん漫画家とつきあえるかと ヘドが出た。



この世の中に、童話に出てくるようなメルヘンの甘い世界がどこにあるかっ。
現実の厳しさを隠し、戦争や原爆を甘い糖衣に包んで、子供に見せれば「戦争と原爆はこんなものか」と
甘く考えてなめてしまうのだ。私は、そんな伝え方をする作家に腹が立った。
目には目をなのだ。原爆の残酷な場面を見て、「怖いっ!」「気持ちが悪いっ!」「二度と見たくないっ!」
と言って泣く子が、日本中に増えてくれたら本当によいことだと私は願っている。
「戦争」「原爆」という言葉や文字を見ただけで拒否反応を示す子が増えて、二度と私たちのような体験を
する世の中にしないでくれと願っている。


(中略)

芸術家ぶったA漫画家が偉そうに他人の作品について「やめろ!」と言える柄かと むかついた。
そのA漫画家たちが集まった漫画団体に入るには、三名の漫画家が推薦しないと入れないそうだ。
A漫画家はもったいぶって、私を推薦してやってもいいと言った。私は「糞くらえっ!」と思った。
だれがそんな漫画団体に入ってチャラチャラ喜んでいられるかと 反吐が出た。
私は、どんな団体にも属さない主義なのだ。団体の規則とか圧力に縛られ、自分の本当の気持ちを表現
できないことは不幸なことだと思っている。私は、他の漫画家との交際はない。
同業者と顔をつきあわせていると、自分の顔をいつも見ているようで不快になるからだ。




どうだろうか。A漫画家が誰なのか?というのは置いといたとして、
確かに「原爆漫画」の中傷はあったようだが決してそれが原因でなく
中沢さん自身、漫画家(漫画界?)に「反吐」がでまくりだったようだ。
『漫画家 中沢啓治は孤高の漫画家だ!』と書くとなにかしら納まりがつくが、多分そうではないと感じる。

中沢さんはまた、「工場生産の流れ作業のようなベルトコンベア式の漫画」は味気ない。
とも語っている。「金さえ儲かればいいのだ」という商業漫画に自分は沿わない、
「時代遅れの漫画家」とも自分を評している。

失礼な言い方かもしれないが、中沢さんはそれほどヒット作に恵まれていない。
例え、「はだしのゲン」であったとしても少年ジャンプ誌上でも決して人気がある「漫画」ではなかった。

それでも中沢さんの「漫画」はいまも読まれ続けている。
その理由はともかくとして、中沢啓治の漫画はいまも生き残っている。
彼の信念は決して偏屈でもへ理屈でもへそ曲がりでもなく、漫画家 中沢啓治の本心なのだ。





で なんの話だっけ。

2005年11月28日(月) [n年日記]

[天気:晴]

#1ゲンのチンポ全記録







「はだしのゲン」を語る上で外せないのはゲンが大好きな
チンポウンコしょんべん など、決してお行儀の良い
「反戦漫画」に留まらない、お下劣な表現の数々が挙げられる。

もちろんゲンがチンポ、チンポばかりいっていたら物語が進むどころか
ただのチンポ漫画になってしまうが、中沢さんのスパイスとして作中にちりばめられた
それらはグッと効いてくる。
ゲンがただ真っすぐで元気な少年(または青年)に収まらないのにはこれらが必要不可欠だ。
実際中沢さんも「 インタビュー 」のなかでこう答えている。一部抜粋。

…チンポだのウンチだの、あんなの誰だって小さい時に言ってるわけだから。
そんな言葉まで刈りとって、どうすんだって思いますよ。これ(チンポ、ウンコ)は
どんどん普及させた方がいいですよ。 キンタマ とかね…



* おちんちん映画リスト (http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5651/movielistd.htm)

またこれは原作の話ではないが上記サイトにも実写版「 はだしのゲン2 涙の爆発 」はちゃんと
おちんちんの見られる映画として リストアップ されている。この映画を監督をした
故・ 山田典吾 監督も うまく取り入れたというわけだ。


「はだしのゲン2 涙の爆発」より

それでは、せっかくなのでゲン自身も披露しているチンポを見てみよう。
余談だが 一部マニアの間ではゲン独特のチンポのフォルムを「スターキメラ」というそうだ。


【昭和20年】ゲン6〜7歳時のチンポ


ゲンの初チンポ披露のシーンだ。似島へ米を手に入れようとさき急ぐゲンが
子供たちを唆して米を手に入れるが、うまくいかず肥だめに落ちてしまう。


やっとの思いで逃げ延びた江波で初めてのお風呂。よくよく考えると
お風呂のシーンはこれが最初で最後だったかもしれない。貴重。


政二さんの願いを叶えようとモデルになるゲンと隆太。
政二のセリフ「おまえもかきのこしておきたい。すきなおまえも…」は心に沁みる。

【昭和25年】ゲン11〜12歳時のチンポ


少々飛んで、広島市の復興計画の余波で不法に立てられた家の撤去に抵抗するゲン。
「くそったれ!」といいながらしょんべんを垂れるのはゲンならではエッセンスだ。


ちなみに この特殊なゲンのチンポの握り方は「大上辺二指挟」、
略して「上挟(うわばさみ)」ともいったりするとかしないとか。

【昭和26年】ゲン13〜14歳時のチンポ


比治山のABCCの実験棟にしょんべんをひっかけるゲン。
ちなみに左手の箱には夏江の骨壷がはいっている。


光子さんとの初デートで「 宮島 での家族の思い出」を回想するシーン。
例えデート中であってもゲンのチンポがでてくるのは流石だ。


如何だったろうか。意外と少ない?ような気もするが、
主人公が劇中でこれだけチンポを出すのは あるようでなさそうだ。



え?ゲンがむけてない?エッチなのはいけないと思います!



【参考リンク】
「はだしのゲン」を図書館から取り戻せ!!-著者・中沢啓治インタビュー

映画化難航?:



トールバズ氏のサイトで知った 記事コメント より引用。


ちなみに人気漫画の映画化としては、これから
ルパン三世 、ドラゴンボール、 NANA の続編、 エヴァンゲリオンMONSTER魔女の宅急便
寄生獣マッハGoGoGo 、などが制作に入ってるそうです。
AKIRA 、童夢、 銃夢鉄腕アトム 、はだしのゲンなどが企画で難航してるそうです。


事の真相は不明だが もし本当だとしたら楽しみだ!!難航してるとこも楽しみだ!




2005年11月29日(火) [n年日記]

[天気:晴]

#1kamatatokyo




kamatatokyoのサーバーがたいこのように膨らんで 腹がやぶれそうになっている。
もう何度目か忘れたがサーバー移転をします。
そのうち繋がらなかったりするかもしれないが、またここでお会いしましょう。




STAY HARD.

2005年11月30日(水) [n年日記]

[天気:晴]

#1nu kamatatokyo




今日、ぶらりと駅にいったら『 3×3EYES 』と大きく背面にプリントされた
パーカーを身に付けている 50代半ばのいい顔のおっさんを見かけた。あの街この街。



昨日 の22時過ぎからボチボチとはじめたkamatatokyoの移転作業に一区切りついた。
我ながらがんばった。本格的には朝6時からで、途中 散髪や飯
(といっても これ とか コレ をキメつつの作業だったが
やはり特段にファイル数が多いのは 政二板 だった。これには疲れた。
(平気で4000を超えるファイルが格納されていた わらぃ)

まだちゃんと動作確認してないのでなんとも言えないが あとはDNSの反映を楽しみにしたい。
あ、この前の移転は2004年7月。 さて今度はいつまで持ちますか。

おはようnu kamatatokyo!



スパンク の物真似に最近はまっている。(談)


あと これ なんだろww


はだしのゲンバトン:




そうそう今日、 mixi で噂の「はだしのゲンバトン」をみつけた!

勝手ながら内容を紹介させていただきます。 
池田超大作(白猫) さんのいらっしゃる方向に向かって最敬礼〜!


【シゴウ一】一番好きなシーンを教えんさい。

【シゴウ二】一番好きなキャラは誰かのう?

【シゴウ三】政二さんとの思い出が聞きたいのう。

【シゴウ四】一押しの『ギギギ・・・ポイント』はどこかのう?

【シゴウ五】やってみたいマイク・ヒロタ式拷問は何かのう?

【シゴウ六】"お礼をしたい"波川中学校の先生は誰かのう?

【シゴウ七】自分をはだゲンキャラに例えると誰かのう?

【シゴウ八】この麦で何をこさえてもらおうかのう?

【シゴウ九】ところで好きなプロ野球球団はどこじゃ?

【シゴウ十】あんちゃん!隣組5軒に回覧板じゃ。



【参考リンク】
はだしのゲン好きに100の質問


以上、10 日分です。
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